2004年3月4日から2004年3月22日までのイタリア旅行の記録です。
さていよいよ最終日です。12:20の飛行機なので、いつもより早起きしてなんと7時半に起きました。世間ではまったく普通の時間だと思いますが、もはやおかしくなってます。時差もあるし日本で仕事できるかなぁ。帰って次の日から仕事なんですが・・・。
荷造りは昨日のうちにすませていたので、もう朝食を食べて空港へ向かうだけです。そんな最後の朝食ですが、ココアを飲んで皆さんにお別れをします。「帰るのが残念です」と言ったら、また「次があるよ。もちろんここにね」って言ってくれました。最後ににゃんこに会えなかったのが残念ですが、空港へ出発です。
切符の自動販売機がなぜか使えなかったので、窓口で買いました。もうこんな旅行会話は問題なく出来るようになりました。当分使う予定ないんですけども・・・。
あ、この後はもう書くようなことは残っていません。空港行きの電車で前に座っていた女の子が、日本に着いてからもずっと最後まで、同じ飛行機・電車に乗り継いで東大阪まで帰ってきたのがおもしろかったくらいです。
飛行機で隣に座ったおばさんの口臭といびきで私が一睡も出来なかったのも今となってはいい思い出に・・・なるわけないわ、ボケッ!などと言いたくなったこともたいした問題ではありません。
19日間の旅行だったわけですが、ここに書ききれないこともたくさんありますし、写真がなくとも頭の中に残った物もたくさんありました。これはきっと仕事に活かされることでしょう・・・。
これにて旅行記は終わりですが、紹介し漏れた写真がいくらか残っておりますので、次回は番外編をお届けして終わることにしますね。機会があればご紹介することにしましょう。
投稿日時: 2004年05月12日 02時33分
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と言うわけでいよいよ明日が日本への出発です。またお金を貯めてここに帰ってこようと思います。終の棲家をヨーロッパに・・・。
今日もホテルで朝食を取りますが、コーヒーとチョコラート(ココア)のどっちがいいと聞かれたのでチョコラートと答えました。するとなんだか妙にうれしそうです。これが美味しかったんですよ。もしコーヒーかチョコラートか聞かれたらチョコラートと答えましょうね。あまりイタリアでは美味しいアメリカ式のコーヒーには出会ったことないです。
さて本日の貧乏は決定ですので、無料で見られるところを歩きます。ホテルをあてもなく出発したのはお金を持っていないからです。うろうろしてるとサンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ教会に着きました。教会なら無料です。
説明にはキリストが磔になった十字架の断片や釘などが納められているらしいんですが、ここもミサ中だったので見学を断念しました。この辺りは何もないところなので、そこから西と思われる方向に歩いていくと、この間訪れたサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ教会に辿り着きましたが、そのまま通り過ぎてどんどん西へ。気づくとコロッセオにたどり着きました。進んでいたのが本当に西であったと証明された瞬間です。
で、コロッセオもそのまま通り過ぎて、フォロ・ロマーノを横目にしながらまたうろうろ。前は中に入ったんですけど、外からも見えるので今日は違う方向から眺めてみます。そうするとまた違った印象があっておもしろいんですよ。
もう見慣れたヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂の方に歩いていくと、なんと美術館でパウル・クレー展が。クレーと言えばかのバウハウスで教鞭をとったという私の大好きな画家の1人です。わざわざ三重県まで見に行ったくらいです。貧乏ですが、これは入らざるを得ません。この時点で晩ご飯を食べられなくなったので、追加両替決定です。
初めて見るクレーの作品ばかりで大満足で、しかも5ユーロのミニガイドブックを購入しました。この後いったんホテルに帰ることにします。もちろん日本円を持って両替に行くために。ここからなら20分ちょいかな。もちろんバスに乗るお金もけちります。1ヶ月1万円生活と銭形金太郎の影響であることは言うまでもありません。
実はホテルに帰る前に西に向かって、もう一つ教会を見ようと思っていたんですが、どうも雰囲気がおかしいわけです。西に向かう道路が大勢の警察によって封鎖されています。そう言われてみるとなんだかいつもと人の様子が違います。で、テルミニ駅の方に戻れば何かわかるだろうと思って引き返してきました。
市内を東西に走るコルソ通りという大通りに辿り着いた時にようやく理解しました。どうやら野党側が仕掛けた反戦デモのようです。みんな7色の旗を巻き付けたりバルコニーからつり下げたりしていました。この7色は実はスペクトルの順番に並んでいるんですよね。調べてみたらイタリアでは虹は7色と認識されているようです。これでなんとなく旗の意味がわかったような気がしますよね?
さてホテルに戻ると時間が早かったので女の子がちょうどベッドメイキングの最中でした。うちの部屋の分は終わっていたみたいなので、どうぞどうぞと部屋に招き入れてくれました。そんなわけで2個残していたコルネットを食べて昼食にしました。7個入りで1.9ユーロ(=265円)だったんです。思わず助けてくれてありがとうとお礼を言いました。
さて再び出かけようとすると女の子はまだ掃除をしていたんですが、呼び止めてプレゼントをあげました。実はヴェロニカのために持ってきたんですけど、渡すのを忘れてしまったので。喜んでくれたかどうかはわかりませんが・・・。
いよいよ再出陣です。ホテルを出た瞬間に周囲が騒がしいのがわかります。外に出てみるとちょうどいつも行くピッツェリアのバリスタ(阪神タイガースのキンケードに似た)に出会ったので、道も通れないなどと世間話です。
危ないかなとも思いましたが、ジャーナリスト魂でしょうか? どうしても出かけていろいろ見てこないと気が済みません。まずは大きな広場からと共和国広場に出かけてみました。予想通りの大盛り上がりです。反戦集会なんですけど、どうもみんな楽しそうなんですよねぇ。
この後はバルベリーニ広場、スペイン広場、ポポロ広場と順番に巡ってみました。スペインの列車テロを受けてのデモだったので、てっきりスペイン広場も大勢の人が集まっているのかと思いましたが、ここはいたって普通の状態でした。犠牲者への献花はされていましたが。ところでスペイン広場ってすぐそばにスペイン大使館があるからだってご存じでした?
ホテルから離れるに従ってどんどん静かになっていくようです。と言うよりも各地で小さな集会の後に中心部にどんどん集まっていくような感じです。前からどんどん人がやってきていたので。仕方ないので、またショーウインドーを見ながらホテル方向へ歩き始めました。途中で見かけた一隊は財務警備隊の皆様です。私の知る限りは警察ではなく軍組織だったような気もするのですが、どなたかご存じないでしょうか? ちなみにこの人たちがいるのは大統領宮の近くでした。
もちろんホテルの近くではまだまだ大騒ぎでした。音楽と鳴り物と煙幕で頑張っています。私は疲れたのでいつものピッツェリアにお昼ご飯を。両替を済ませたのでもう怖いものはありません。モッツァレラとソーセージのピッツァにコーラを付けて。でもまだ4時なのでもう1回晩ご飯を食べなければならないような気もするので、アダムにお別れは告げずにまた後でと言ってお店を後にしました。
もう荷造りも終わっていたので、イタリア最後のお昼寝です。この日は最後の食事に何を食べたか書いていませんでした。多分、最後だからとラザニアとチキンカツを食べてカフェを飲んで締めくくったのでしょう。私の考えそうなことなら。帰りがけに明日日本に帰るんだよと言ったら、お店の皆さんが「Buon viaggio」と送り出して、お店の住所とか電話番号を書いたカードをくれました。次に行く時は必ずまた遊びに行こうと思ってます。庶民的で居心地のいいピッツェリアでしたよ。テルミニ駅近くのVia Principe Amedeo 49のGrand Brazilに行けばアダムが出迎えてくれるはずです。
あとはホテルで朝食を食べて帰国するだけ。もう少しだけ旅行記におつき合い下さいませ。
投稿日時: 2004年05月10日 04時05分
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タグ: イタリア, 旅行
今日は9時間睡眠で絶好調。そんな私の親友は布団くんと枕ちゃんとテレビさんです。
いつも通り朝食に行くとホテルのみんなが話しかけてくれます。おかみさんらしき人は毎日チャオと言いながら頭をなでてくれるんですが、今日は自分の朝食のパニーノをちぎって分けてくれて、コーヒーもなぜか3杯分用意してくれました。昔から年輩の女性の人気者なんです。もう2日後には出発かと思うと寂しい気もします。
さてこの日は今まで手をつけていなかったパンテオン周辺の教会巡りからスタートです。最初はジェズ教会。イエズス会の教会ということで日本にもゆかりがあるとガイドブックに書かれてあったのですが、なんと、かの有名なフランシスコ・ザビエルの聖体(多分右手)がありました。
次はサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会へ。ここにはフィリッピーノ・リッピ(フィリッポの息子です)のフレスコ画 「聖母被昇天」が。聖カタリーナの聖体も納められているのですが、さて何をした人だったかなぁ・・・。
そしてサン・ルイージ・デイ・フランチェーゼ教会です。ここにはカラヴァッジョのマタイ3部作という作品があります。小さな教会(イタリアでは)なんですが、普通に置かれてるのがすごいなぁ。外してどこかに持っていくこともないと思うので、ここでしか見られないでしょうね。ローマで時間のある方はぜひ見ていただきたい作品です。
ここでお昼になってしまったので、教会が夕方まで閉まっちゃいます。仕方ないのでボルゲーゼ公園に行くことにしました。途中で何か食べようと思いながらよたよたしてると、あっと言う間に着いちゃいました。まあ公園の近くで何か食べようと思ったのですが、この間断念した中華料理店の近くなんですよね。と言うことは5つ星ホテルのまっただ中ということで手頃なピッツェリアが見つかりません。ええ、もう高いところは入れないんですよ・・・。そんなわけでカバンからコルネットを取り出して、公園でお花見をしながら昼食にすることにしました。
公園ではゲーテさんとも出会いました。この公園を散歩していたんでしょうね。そのまま歩いてボルゲーゼ美術館へ行くと、なんと入れかえ制で17時からの分しか入れないみたいです。3時間後にもう一度来るのはしんどかったので、ここも次回の宿題にしました。滞在も20日近くなると執着心がなくなってきます。あまり全部周り尽くしてしまうと次回来た時に寂しいですしね。
結局町中に戻って、またお土産探しです。少し荷物が増えたのでホテルに置きに帰ったんですが、荷物が増えすぎてスーツケースに入らなくなったことに気づきました。
そうそう、まだまだローマには黄緑がいっぱいです。全身黄緑のコーディネートで歩くのはものすごく難しいのですが、白のパンツスーツに控えめにインナーにブラウスを持ってきて、バッグも同じ色にしています。これなら爽やかな感じで着こなせますね。基本中の基本ですが、だからこそ重宝ですよね。
そんなわけでカバン探しに出発です。ホテルの近くのかばん屋さんで安いボストンバッグを18ユーロ(≒2,500円)でゲットしました。ちゃんとイタリア語で買えたのがうれしいです。いろいろ聞いてたら、ちゃんと中も開けて、いろいろ説明してくれました。イタリア語をしゃべるとお店の人は本当に親切です。また日本に帰ってからも頑張って勉強するぞぉ。
ホテルに帰ってバッグを開封してから気づきました。これでどんなものでも入るようになったわけですが、でかすぎて機内持ち込み出来ません。むしろ持ってきたスーツケースよりでかいことに気づきました。浮かれて買ってしまいましたがどうしたものか・・・。こんな大きい荷物2つも持って動けないですし。要検討です。
それよりも深刻なのは現金の所持金で、45ユーロ(≒6,300円)しか残っていません。空港まで10ユーロかかるので、実質35ユーロになってます。クレジットカードで何とでもなるんですけど、ここまで来るとこのまま乗り切りたい気もします。そんなわけで節約モードに・・・ならないのが私です。
いつもより多めに歩いたので早めにお腹が空いて6時には夕食。もちろんいつものピッツェリアへ。スパゲッティ・カルボナーラとローストチキンで12ユーロ。食後のカフェを我慢してみました。まったく意味のない節約ではあるのですが・・・。まあコルネットがあと2個残ってるし、ホテルに朝食も着いてくるので、明日はジェラートを食べて、水を買って夕食にカフェを付けても20ユーロでおつりが来るはずです。ローマには無料で楽しめるところもいくらでもありますしね。
貧乏と荷物問題の未解決で早めにホテルに帰って荷造りにチャレンジです。こんなこともあろうかと持ってきた捨てられるよれよれの下着、300円で買ったマフラー、圧縮袋での極限の圧縮。2時間の努力の末、なんと一つに荷物がまとまりました。となるとボストンバッグは不要に・・・。泣く泣く置いていくことに決めました。
明日はいよいよ最終日。無料のところだけ見るし、贅沢も出来なさそうなので早寝決定です。
投稿日時: 2004年05月09日 02時05分
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いつもより少し早めの8時半起床。と言っても30分だけですが。なんだか朝から風邪っぽい感じがしたので、とりあえず風邪薬を飲んでみます。薬類はちゃんと日本から持っていきました。もちろん現地で買えるんですけど、自分の体に合ったやつの方がいいですしね。
いつもどおり本館に食事に行くとおそろしい数の高校生くらいの集団が出てきました。ホテルの人に聞いてみるとデンマークのコペンハーゲンからやってきたらしいです。修学旅行でしょうか。みんな口を揃えて「Grande problema!!」と言ってます。よっぽど大変なんでしょうね。
そんなこんなで少しずつ世間話も出来るようになってきましたし、少しくらいはイタリア語が理解できるとわかってくれたので、もともと話好きなイタリア人はいろいろと話しかけてくれます。
今日もにゃんこのおばあさんが「元気かい?」って話しかけてくれます。「もちろん。あなたはどうですか?」と決まり文句で答えると、「私はあなたより50歳も年上で、80歳だけど、まだまだ」って小川ばりのハッスルポーズ。次にイタリアに行く時も元気でいてくれるとうれしいなぁって思います。
昨日決めたとおり、今日は南の方へ歩いていきます。サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ教会へ。ここはローマ4大大聖堂の一つらしく、碑文には「ローマと世界の全ての教会の母」と書かれてあるらしいです。ヴァチカンに教皇庁が移るまではここが総本山だったようで、格式はこちらの方が高いんだとか。見学するだけで肩が凝りました・・・。
そのすぐそばにはスカラ・サンタと言って、キリストがエルサレムでの裁判の時にむち打たれながら上った階段をそのまま持ってきたそうです。建造物を持ってくるという発想がすごいなぁと思います。ここは見学者と言うよりも巡礼者でいっぱいでした。この階段をひざまずいて祈りながらのぼっていく人ばかり。お邪魔しちゃ悪いので早々に退散します。
オペラのチケットを忘れてたと思い立って、中心地に戻って、サンタ・マリア・マッジョーレ教会のそばにあるプレイガイドに立ち寄りました。今日か明日しか行けないんですけど、演目が人気のトスカでほとんど売り切れです。唯一残っていたのが「パルコ」席で、102ユーロ(≒14,000円強)でした。すでに手持ちの現金が8,000円くらいしかなかったので、ここは断念しました。もう少し早く思い出せばよかったなぁ。また次回に挑戦ですね。
ちょうどお昼ご飯の時間になったけど、疲れてきたのでホテルに戻ってコルネットを食べてお昼寝。これで風邪っぽかったのもすっきりしました。16時半頃起き出して、再び散歩に出かけることにします。
コースはヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂からコルソ通りを経由して、バルベリーニ広場です。最初にローマに来た頃には黄緑全盛という感じだったのですが、この2週間くらいの間にピンク色にシフトしていることに気づきました。それでも黄緑の割合の方が少し勝っているかなという気もします。
実は中華を食べたかったのでここまで歩いてきました。3年前にツアーの添乗員さんに連れてきてもらった茉莉(ジャスミン)というところがめちゃくちゃ美味しかったんですよね。
そんなわけで18時過ぎにお店の前に着いてみると19時からって書かれてあります。この辺りは5つ星のホテルが立っている一帯なんですけど、それ以外にはご飯を食べる以外に何もないところなので、腹ぺこの僕はあきらめて別の中華料理店を探しに行くことにしました。これも次回の宿題みたいです。
バルベリーニ広場からホテルまでは20分くらいなんですよね。結局、ホテルの裏にある「香港大飯荘」で食事をすることにしました。小籠包と広東風チャーハン、酢豚にライチのシロップ漬けがついて8ユーロ(≒1,100円)でした。中華万歳です。
あと2日しか残っていないので、明日に備えてゆっくり休むことにしました。そろそろお土産も考えなければなりませんし、フル活動しなければ。どうやらそろそろバカンスも終わりのようです。
投稿日時: 2004年05月03日 23時51分
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今日もおそろしく爆睡して9時前に起きました。9時間くらい寝る生活が身に付いてきたようです。帰国してからどうなることやら心配になってきました。
ホテルで朝食を食べながら行き先を決定します。ヴァチカン美術館にもう1回行ってみることにしました。何回見ても楽しいし、前回ガイドブックを買って予習したので、今度はもっといろいろ見られるはずです。
そんなわけで地下鉄に乗って、オッタヴィアーノーサンピエトロ駅へ向かいます。実は一駅向こうにチプロームゼイ・ヴァチカーニという駅があるのですが、行列が長いと最後列はオッタヴィアーノーサンピエトロ駅の方が近くなると言うのが前回の教訓です。見事予想的中ですが、今回は20分ほどで入場できました。
前回閉まっていたエジプト博物館やエトルリア博物館も開いていたので、古代文化に触れるよい機会になりました。昔から歴史とか史跡が好きで、大学も史学地理学科と言うところで東洋史を専攻しておりました。当時は中国の勉強をしていたのですが、そんなこともあって、やはりヨーロッパならイタリアだなどと思ってしまったのがイタリアバカのはじまりでしたね・・・。
あまりにも見るべき所の多い美術館です。この写真は「地図の間」の天井です。本来の展示物は大昔に描かれた様々な地域の地図だったりするのですが、左右も天井も見なければなりませんし、本当に大変なところです。
結局今回も開いていないところがありましたので、これは次回の宿題になってしまいましたね。いつになることやら・・・。
外に出るとお腹が空いていたので、美術館前のピッツェリアでお昼ご飯です。財政的に切迫してきていましたが、安いセット料理があったのでそれを頼みます。ミネストローネとポークステーキでした。ミネストローネでも頼まないと調理された野菜に出会えないような気がします。
この辺りはまだそれほど歩いていなかったので、思い切って歩いてホテルに戻ることにしました。ポポロ広場まで歩いて、ショッピング街のコルソ通りへ。定番の散歩コースです。もう何回この通りに来た事でしょう。
帰国も少しずつ近づいてきたので、「La Rinascente(ラ・リナシェンテ)」というデパートでお土産を物色します。ここは前に黄緑色のディスプレイでご紹介した場所ですね。今回は別のウインドウをご紹介。見事なまでに同系色でまとめております。このデパートのディスプレイの特徴ですね。いくつかウインドウはあるんですけど、見事に使い分けてます。一つのウインドウにいろんな色を詰め込まないんですよね。
そうこうしているうちに4時頃にホテルに到着しました。言うまでもないことですがお昼寝の時間です。起きたらいつものピッツェリアへ。アダムが「本は持って帰ったか?」と聞くので「朝取りに来たよ。ありがとう」などと会話。少しずつイタリア語が聞き取れるようになってきたのを実感です。
今日は店の中が混んでいたのでテラスで食事。メニューはラザニアとチキンカツです。さすがにコートを着ていても少し寒かったですが、外で食べていたおかげで、この間スーパーで出会った女の子4人組と再会することが出来ました。
「今からオペラ座にオペラを見に行くんです」とのこと。そう言えばオペラを見るのを忘れてました。明日、演目と料金を確かめに行かねば・・・。
フィレンツェ辺りからどうも警備が厳しいなぁと思っていたのですが、どうやらスペインでの列車爆破テロの影響だということにようやく気づきました。ホテルはテルミニ駅のすぐそばなので、警官もたくさんうろうろ。普段より治安が良くなっているような気もします。
ホテルに戻ってからは最後の洗濯。これで帰国までの着替えを確保できました。明日は駅の南の方を歩いてみようとなどと思いながら早めのおやすみなさいです。
投稿日時: 2004年05月01日 05時22分
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タグ: イタリア, ショーウインドウ, 旅行
9時前に目を覚まして、ゆるゆると本館に朝食に向かいます。そんなに豪華な朝食ではないんですけど、これがなかなか美味しい。イタリアのエスプレッソではなく、アメリカ式のコーヒーも出てきました。なんだか懐かしい味に感じます。普通のエスプレッソの方がおいしいけど・・・。
その朝食帰りにピッツェリアで昨日忘れた本を確保しました。あってよかったです・・・。
インターネットポイント(カフェではない)に立ち寄ったら、システムが故障していたみたいで、時間がカウントされてないようです。1時間の料金で2時間くらい使えたのですが、さすがにそんなに長くネットサーフィンする必要性もなければ、仕事もここにはありません。やむなくなるべく情報を遮断してきた日本の情勢を確認しました。
どうも気分がすっきりしないので、今日は美術館をやめて、今まで歩かなかったようなところを歩いてみようと思って出発しましたが、案の定ヴェネツィア広場に着いてしまいました。
またふらふら歩いて、今度はトレビの泉に。もう何回目かわからないくらいなのですが、ここの横にある食料品店のパニーノが安くて美味しかったのと、水も安いのでついつい来てしまいます。生ハムとモッツァレラのパニーノで昼食にしました。
ヨーロッパの人ってウインドウショッピングをすごく楽しみますが、その気持ちがよくわかります。本当に見ているだけで楽しいんですよね。工夫が凝らされてる感じがします。写真は黒と赤のディスプレイ。明快なコントラストがきれいです。日本にも黒一色の人が多いですが、他に1色足すだけで華やかになる良い例ですね。
そんなわけで食後はまたひたすら歩きます。ポポロ広場からスペイン広場を経てパンテオンへ。ヴェロニカに連れていってもらった時は大雨だったので、晴れた日に行ってみたかったんです。イタリアに限りませんが、晴れの日と雨の日では姿をガラッと変えるものってありますよね。
疲れてきたので、またホテルに戻ってお昼寝します。今日は少し腰痛が・・・。少しホテルでゆっくり目に過ごして、7時頃夕食に出発しました。
いつもと気分を変えて違うピッツェリアで夕食をとります。以前に声を掛けられた時にもう食べた後だったので断ったのですが、僕の顔を覚えていたようです。はげた気のよさそうなおっちゃんです。
日本語のメニューを出してくれたのですが、日本語訳があまりにもおかしいので、ちっとも理解できません。メニューはイタリア語そのままの方がわかりやすいです。結局イタリア語を読んで注文しました。
今回はローマとフィレンツェだけなので、ミラノ風のリゾットをあえて食べてみました。あとはローマ名物のサルティンボッカ。これが絶品です。普通のレストランで食べるより美味しかったので大満足です。
帰りに水を買って、ゆっくりと昨日買ってきた本を読みながらイタリア語の勉強をしました。カラーの本ですが、目からうろこみたいな組み合わせがたくさん載っていて、日本で売っているカラーチャートとの違いがとてもおもしろいです。
眺めているだけであっと言う間に時間が過ぎて今日はおしまいです。え、写真が少ないですか? 前にも行ってるところが多いのでついつい撮るのを忘れてしまうんですよねぇ。私の記憶の中にはもっとたくさんの映像が残っているのですが。
投稿日時: 2004年04月22日 16時44分
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今日はいよいよ移動日です。9時に支払いの約束をしていたので、とりあえず8:45に起きることにしました。お金だけ払っておけば昼までに鍵を返して出ていけばよいらしいです。この辺は割と適当です。
とりあえず支払いを済ませてバールへ。カプチーノとブリオシュでイタリア人らしい朝食。これなら日本の喫茶店でモーニングセットを食べるよりお得だし、朝ご飯は軽く済ませたい私にもぴったりです。
財布の中身がかなり寂しくなってきたので、クレジットカードを使って250ユーロほど借金しました。これで電車にも乗れるし、ローマでのホテル代も払えます。ジャケット代がそのまま生活に響いてるという日本と同じような展開になってきました。
1時間ほどふらふら散歩してから、いよいよローマに出発です。駅に帰る途中にジャケットを買ったエジプト人がいるはずなのですが、まだ朝が早かったので、お店が開いていませんでした。
さくっと1等車の切符を買って、ミラノ方面から来た列車の方へ向かうと日本人ツアーの団体が降りてきました。30人くらいいたはずですが、団体で列車移動は大変だろうなぁと思います。それ以上にもたもたしていて、なかなか列車に乗れないので腹が立ってきましたが。今回の同席者は50代のビジネスマンでした。もしかするとえらい人なのかもしれません。ずっとビジネス誌を読んでいたようだったので、こんにちはとだけ挨拶して座りました。あとはあっと言う間にローマです。
見慣れたローマのテルミニ駅に到着しました。とりあえず宿はどこでもよかったんですけど、勝手のわかる前の宿に行くことにしました。
外を開けてもらって中に入っていくと「Ciao!」と出迎えてくれました。しかも総出です。あ、5人も出てきていただかなくともという感じです。「にゃんこも元気ですか?」と聞くとおばあさんはうれしそうに「とっても元気よ」などと答えてくれました。茶色のはばたばたしていて、白黒のはいつも寝てばかりだそうです。確かに白黒は1回だけしかみたことありません。
今回はにゃんこと遊べる部屋はすでに塞がっていて、200mくらい離れたところにある別館のようなところに連れて行かれました。ここは建物の鍵ごと渡してくれるので、好きな時に外出して、帰って来れます。荷物運びで疲れたのでお昼寝を2時間しました。
夕方頃、とりあえず駅のスーパーに買い物に出かけると、マヨネーズを探している女の子たちがいたので、場所を教えてあげました。話を聞いてみると美大生で自炊しながら旅をしているらしいです。マレーシア航空で来たと言ってるので、どうやら貧乏旅行みたいです。あと4日ローマにいるとのことなので、またどこかで会う時もあるでしょう。
まだ少しお腹が空いていなかったので、本屋に出かけます。しばらくうろうろしていると美術書のコーナーでカラーの本を発見しました。日本のカラーチャートと構成が違うのでおもしろそうです。今回のイタリア行きの目的の一つにおもしろそうなカラーの本を買うことだったので、ようやく達成出来ました。ちなみに46ユーロ(≒6400円)でした。これからの仕事にも使えそうでうれしいです。
さて食事です。アダムのいるピッツェリアでコーラとピッツァ・マルゲリータに食後のカッフェをつけて安くあげることにしました。「今日ローマに戻ってきたよ」と言うと「さっき前を通りかかったのを見たよ」とのことです。やはり見られていたんですね・・・アダム、あなどれません。
部屋に戻ってテレビをつけると「Chi l’ho visto?」という番組をやっていました。行方不明者の捜索番組のようです。この日も3時間くらい放送されていましたが、実はイタリアでこれを見るのは2回目で、つぎつぎと行方不明者の家族が出てきます。日本では3ヶ月に1回の特番ですが、イタリアにはそんなに行方不明者が多いのでしょうか? かなり恐ろしいことかもしれません。
シャワーを浴びて、さっき買ったカラーの本を読もうとしましたが、どこにもありません。はい、ピッツェリアに忘れてきました・・・。シャワーを浴びてから外に出ると寒いので、明日取りに行くことに決めて、一日も終わりです。明日どこに行くかは起きてから決めることにします。
投稿日時: 2004年04月12日 22時08分
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タグ: イタリア, 旅行
昨日は気絶するように寝てしまったので、朝シャワーを浴びました。それからのんびりとホテルを出発。今日は日曜なので中心部のお店なんかは休みのところが多いのです。そんなわけでポンテ・ヴェッキオがかかるアルノ川を越えて、南の方の探索です。
南側は丘が広がっていますが、その上にあるサン・ミニアート・アル・モンテ教会に行きました。階段を上って辿り着くと、ちょうど結婚式が行われていて、ほっこりしたのですが、これがなんと韓国人。ローマでも見かけたのですが、韓国ではイタリアで結婚式を挙げるのが流行っているのでしょうか? ここからの眺めは本当に美しくて、疲れも吹っ飛んでしまいます。疲れるようなことは何もしておりませんが・・・。
すぐに丘を降りるのももったいないので、そのまま散歩を続けようかと思いましたが、お店がある保証がないので、ふもとにあったジェラート屋さんまで引き返して、水分とジェラートの補給。もちろんレモン味です。「小さなジェラートを。コーンで。レモンでお願いします」と言うと、ジェラート屋の大将に「レモンだけ?」と聞かれたので、「はい」と答えると「イタリア人のような注文だ」とにっこり。妙にご機嫌なようです。小さなジェラートと言ったにも関わらず、おそろしいくらい山盛りにしてくれました。コーンとの比率で言うとパパイヤ鈴木の頭よりでかいくらいです。ああ、イタリア人万歳!!イタリア語万歳!! コミュニケーションって本当に大切ですよね。
そんなこんなで1時間ほど丘の上をうろうろ。実は住宅街に踏み込んだようなのですが、丘の反対側の降り口までは一本道で、どこからも降りられません。逆方向までたっぷり1時間近く歩かされました。ようやく下ってくるとピッティ宮の案内板が。もちろんそちらへ向かいます。
このピッティ宮はいくつかの美術館と博物館に分かれています。私は歴代トスカーナ大公(昔は大公国でした)が住んだ王の居室とパラティーナ美術館を見ることにしました。ここにはラファエロとかティツィアーノの秀作が揃っていますが、展示位置がウフィッツィ美術館みたいに年代順や作家別に分けられていないんです。てんでバラバラの位置に、しかも地上3mくらいの高さまで雑多に並べられている感じです。
そんな高さにルーベンスの絵が。見上げる角度は「フランダースの犬」状態です。あやうく見落として次の部屋に行くところでした。ルーベンスは3枚あったと思うんですけど、「畑から帰る農夫たち」が一番よかったです。
ここにもムリーリョとリッピが。リッピの「聖母子」は最高です。どなたかどこかの国のどこかの出版社からリッピとムリーリョの画集が出てるのをご存じないでしょうか? 私の調べた限りでは国内では出ていないのですが。情報をお待ちしております。
お腹が空いてきたので、ポンテ・ヴェッキオ近くのバールでパニーニを買ってお昼ご飯にします。ここまで戻ってくるとホテルまですぐなので、ここはいつも通りお昼寝することに決めました。
テレビを着けると長編のルパン3世をやっていました。「ルパン三世 ロシアより愛をこめて」です。銭形警部の声が日本の声優である納谷悟朗とそっくりなのと、ルパンの話し方が山田康夫そっくりなのに驚かされます。元の声なんてイタリア人にはわからないんだから、そこまで似せなくてもという気もしますが、これはイタリア人の職人魂なのでしょうか? だとしたらものすごく立派だと思います。
さて夜になったので、再び街を散策です。フィレンツェは夜でも比較的安全に歩けそうな感じです。あとで知ったのですが、スペインの列車爆破テロ以降、主要スポットの警備が厳重になっていたようです。これはローマに戻った時にひしひしと感じました。写真は夜のポンテ・ヴェッキオです。今回撮影した写真の中で一番のお気に入りです。皆さんはいかがでしょう?
路上でアカペラを披露している女の子3人組に出会いました。自分が歌うからわかるんですけど、どう考えても素人の歌ではありません。年齢からすると音楽学校の生徒か何かだと思います。観光客にもわかる有名曲を次々と歌ってくれます。日本では路上で立ち止まることなんて、まったくないんですけど、上手かったのでついつい20分聴いてしまいました。もちろん満足できた時には箱にお金を入れてあげます。
そのあと見つけたのがこのディスプレイ。日本ではまずあり得ない配色ですけど、これが似合う人はここにはきっと日本よりたくさんいることでしょう。これくらい高い彩度の補色配色は町中ではあまり見かけませんでした。ただし完全に春物ですので、もう少し暖かくなれば出てくるのかもしれませんね。
この日はお店探しに苦労しました。日曜でお休みのリストランテが結構あるんですよね。今日は昨日からフィレンツェ風のTボーンステーキを食べると決めていたので、どこで食べてもよいというわけには行きません。明日にはローマに出発しなければならないので、今日しか食べられないんです。そんなわけでメニューにそれが載っているリストランテに入りました。
「お一人ですか?(日本語)」と声を掛けられたのは、日本人店員がいたからです。聞いてみると兵庫県の伊丹出身でこっちに来て2年らしいです。私も伊丹で働いていたこともあるので、すぐに仲良くなれました。しかしフィレンツェ在住とはうらやましい限りです。
普通に前菜からフルコースで頼んでいこうとすると、その店員さんに「たぶん無理です」と止められました。なぜならステーキは500g以上からの注文になっているからです。素直にいうことを聞いて、プリモのラザーニャを飛ばして、前菜のクロスティーニからメインのステーキに飛ぶ変則オーダーを組みました。ワインを飲むとまた気絶しそうなので、ここは我慢して料理に専念します。
このステーキが美味しゅうございました。付け合わせのポテトも結構たくさんあったんですけど、それも全て完食です。途中で時々「大丈夫ですか?」と様子を見に来てくれますが、「まだまだ入ります」と軽快に詰め込みました。まだまだラザーニャくらい食べる余裕はありましたが、今更一皿目に戻れないので、デザートにチーズケーキ(これもうまい)とエスプレッソを頼んで大満足です。財政難はさらに深刻になりましたけれども。
帰りにこの店員さんの名刺をもらいました。この店がつぶれなければ私はここにいるので、ぜひまた来てくださいとの事。次来る時はラザーニャも入れて注文しようと思いながらホテルに戻ってきました。
さあ明日はローマへ再出発です。いろいろ悩みましたが、結局ローマのよそ行きじゃない感じが気に入ったので、戻ることにしました。宿はまだ決めてないけど、そんなものは何とでもなるでしょう。美術館で買った本と革のジャケットで、スーツケースはぱんぱんですが、必死になって荷造りです。これ以上物が増えると持って帰れなさそう・・・。とりあえず貧乏生活はほぼ決まりです。
投稿日時: 2004年04月07日 02時55分
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昨日の400段登頂がこたえたのか、10時過ぎまですっかり爆睡です。日本にいる時のように何もなければ昼まで寝てしまう生活とは大違いです。今日はサンタ・クローチェ教会に行くと決めていたので、朝食を取って気分良く出発です。爆睡すると気持ちよいです。
入り口に係員がいて、英語で写真撮影は禁止ですよと言われたので、イタリア語で「はい、わかりました」と答えると、少し驚かれたんですけど、うれしそうな様子でイタリア語がわかるのならと、わざわざ同じ事をイタリア語で説明し直してくれました。しかもにこにこしながら。いい人だぁ。
ローマにはパンテオンなんてのがあって、ラファエロなんかのお墓がありましたが、ここにはミケランジェロ・ガリレオ・マキャヴェッリなどのお墓があります。誰もが知ってる大物揃いですね。
ゴシック様式の美しい建物ですが、1966年にフィレンツェを襲った大洪水のせいで、所蔵品も甚大な被害を受けたらしくて、壁には消え去ったフレスコ画の跡形だけが残ったりしていました。街のところどころには「洪水の時にはここまで水位が上がりました」みたいなプレートが貼り付けてあります。私の身長より遙かに高いところに。今の街並みを見ると想像できませんが、それは大変な洪水だったようです。
サンタ・クローチェ教会でゆっくりした後は、またしてもシニョリーア広場へ。すぐ脇にあるヴェッキオ宮の見学です。ここは壁画や天井がが素晴らしいです。
ここで14時くらいになったのですが、どうも胃が痛いのでホテルに戻ってお昼寝することにしました。2時間くらい寝るとすっかり回復です。いったいどれだけ寝ればよいのかというくらい寝ていますが。18時頃お腹が空き始めたので、また散歩に出かけることにしました。
するとドゥオモの横にある皮革屋さんで声を掛けられます。案の定日本語です。が、挨拶くらいしか出来ないようだったので、ここからはイタリア語の会話になります。ところがいまいちわからないのです。そのまま話を続けているとあることに気づきます。「pa」の音が全て「ba」になっているので。気づいたおかげでそこからは普通に話すことが出来ました。聞いてみるとイタリア人ではなくてエジプト人で名前はティト(なんてエジプト人な名前なんだろう・・・)というらしいです。
ティトとしては革のジャケットを売りたいのでしょうが、こちらもほしいわけです。前の露店と違って店も構えてあるので、ここは話を聞いてみることにします。
まず最初に黒のジャケットを進められたのですが、ご存じの方もいるかと思いますが、私の肌は黒はあまり似合いません。きつい顔に見えてしまいます。そんなわけで焦げ茶をリクエストして試着してみると、「黒もいいけど、焦げ茶の方が似合ってるよ。髪の色と肌の色と靴の色に合っている」などとのたまいます。よくわかっていらっしゃる・・・。私の知る限りではパーソナルカラーという概念はイタリアにはないんですけど、肌や髪に服を合わせるという感覚は持ち合わせているようです。さすがというか、日本人が無頓着なだけかもしれませんね。
革も柔らかくて気に入ったので、ここからは値段交渉です。この時点で声を掛けられてから30分以上立っています。値札には399ユーロと書かれてありますが、向こうはいきなり266ユーロを提示しました。「原価はいくらやねん」と突っ込みたくなりますが、すでに1/3オフです。眼鏡を買って半泣きだった私はここで150ユーロで電卓を叩きます。さすがにこれは無理だと言うことで向こうは220ユーロまで降りてきました。私は190ユーロでお返しです。すると今度は204ユーロに。204っていうのがよくわかりませんが、キャッシュで払うからと言って200ユーロ(≒28000円)で商談成立。日本での相場を考えるととってもお買い得です。売上伝票を見ましたが、定価で買ってる人もかなりたくさんいるみたいです。たいていはアメリカ人のようでしたが・・・。
さてキャッシュで払ってしまったので、財政難が生じてきました。ホテル代を考えると食費が寂しくなってきています。1週間の生活費がそのままジャケットにバケラッタ。しかし夕食を削るという発想は私にはありません。なぜならクレジットカードといううちでの小槌があるからです(なんか間違ってますか?) 夕食は19ユーロ(≒2660円)でちょっと豪勢に食べてみました。生ハムのカルパッチョ、サーモンのクリームソースのニョッキ、白ワインが付いてくるんですが、商談で喉が渇いていたのでがぶ飲みです。もともとほとんどお酒が飲めない私はすっかりよっぱーです。レモンのシャーベットがデザートについていて、カフェを食後に頼んだのは覚えてるんですが、メインの料理だけ記憶が欠落していて、何を食べたか覚えていないんですよねぇ。
そんなわけでホテルに帰ったらそのまま眠ってしまいました。
投稿日時: 2004年04月01日 13時51分
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タグ: イタリア, 旅行
今日も9時起床。この生活スタイルにようやく馴染んできた感じです。日本だと典型的な夜型人間ですので。昨日買ってきたパンで朝食を済ませると、いよいよフィレンツェ探検開始です。
「さあ出発!」と扉を開けるとドアノブにメモが貼り付けてありました。「シングルが空いたから、部屋を変わってください。12時半に来ますので。」 そう、このホテルにはフロントには誰もいないのです。ホテルというよりは貸し部屋状態です。ベッドメイキングとお掃除はしてくれるのですが。鍵束を受け取ったら後は出入り自由なんですよね。ある意味でとっても楽です。
そんなわけで昼に1回戻るとして、ウフィッツィ美術館へ行くためにシニョリーア広場に向かいます。まるでロベルト・ベニーニの映画「ライフ・イズ・ビューティフル」を思い出させる光景でご機嫌です。つい見知らぬ美人に「Buongiorno, principessa!!(こんにちは、お姫様)」などと言いたくなってしまいます。わからない方は映画を見てくださいね。
で、ウフィッツィ美術館はシニョリーア広場のすぐ南側にあります。昔、かの有名なメディチ家がオフィス(古いイタリア語でウフィッツィ)として使っていた建物なので、ウフィッツィ美術館というんですね。ところがここにはとっても素敵な行列が出来ております。ここは後に回すことにしてポンテ・ヴェッキオに向かいます。日本だとレストランとか宝石屋さんの名前で有名ですが、元々の意味はそのまま「古い橋」です。ここには見事な金銀細工のお店が並んでいるのですが、いかんせん朝が早すぎて開いておりません。結局、定番のドゥオモから見ていくことにしました。
中を一通り見て、次はクーポラに上ることにします。このクーポラは地上100m以上あるので、そこからの眺めは絶景であるに違いありません。しかしエレベーターなどは存在しませんので、400段以上と言われる階段を自分の足で登ります。まずは足に来ました。その次に目がかすみ始めます。酸素不足で気分が悪くなってきました。もうだめだと思ったときにようやくテラスに到着です。
もちろん頑張って上った甲斐がありましたよ。高所からの眺めはローマより間違いなく美しいでしょう。かなり疲れてしまったので、テラスで風景を見ながら20分ほど休憩します。そうしないと階段から転げ落ちてしまいますからね。
必死の思いで階段を下り終えると、そろそろお昼です。部屋移動のためにホテルに帰ります。すると昨日の兄ちゃんとは別のおじさんが来ていたのですが、「私は部屋の移動のことはわからないから、そのままでいいよ」とのこと。この辺りはさすがにイタリア人。物事が適当に進んでいきます。結局、この部屋に最後までいることになるのですが、もちろん料金はシングルのままですよ。
足のマッサージを済ませて、今度は昼食に出かけます。シニョリーア広場に戻って、カフェでトマトのピザを食します。天気もよく、ぽかぽかしていたので、テラス席で人の流れを見ながら優雅な食事です。隣の席に日本人の女の子4人組がいたのですが、ここでもお金の払い方について聞かれたので、教えてあげました。遠くの方を見ているとボルゲーゼ公園で出会った母娘が歩いているのが見えます。遠かったので声は掛けませんでしたけれどね。
優雅な昼食の後は、いよいよウフィッツィ美術館です。今度は行列もなくすっと入れました。所蔵品なんかは観光案内なんかを読んでいただければわかりますので、あまり長く書きませんが、ボッティチェッリの「春」とか「ヴィーナスの誕生」と言った絵がここでは最も有名でしょう。ラファエロやミケランジェロ、ダ・ヴィンチにカラヴァッジョなど秀作が揃った、見ごたえのある美術館ですが、何度も繰り返すように私はフィリッポ・リッピが大好きです。前回来たときはツアーで駆け足で見ただけなのですが、今回はのんびりと見られて大満足です。日本人のツアーがうるさかったですけれども。
その後、再びポンテ・ヴェッキオの金銀細工を見て、アンティーク街とブランドショップの集まる通りに向かいました。もちろんそんなものに手を出すお金はありませんので、ウインドウ・ショッピングのみです。
露天商が集まる通りがあるので、ぶらぶらしてみます。実はこういうところが一番面白かったりします。パシュミナのストールが3ユーロ(≒420円)。どこをどう見ても化繊にしか見えません。素敵です。800円もあればグッチのベルトが買えます。2000円ならヴィトンのバッグでしょうか。イタリア人が流暢な日本語で話しかけてきました。「革のジャケットを探していませんか? 近くにあるお店に案内しますよ」だって。非常に見事な日本語です。逆にうさんくささを感じるのですが、一番うさんくさいところは山田康夫もしくはアラン・プロストに似た男だと言うことです。もちろん革のジャケットは探しているのですが、さすがにここでは買えないと思って、断って帰ってきました。
美術館の本を抱えていたので、いったんホテルに荷物を置いて、夕食に出かけます。今日のテーマは中華料理です。イタリアの中華料理は安くておいしいんですよ。セットメニューが12ユーロ(≒1680円)なので、これに決定。春巻、広東風チャーハン、鳥のチリソース、ライチとビワのシロップ付けです。チャーハンはきちんと中国ハムを使っていますし、非常に本格的な中華です。考えてみると久々にお米を食べた気がします。
大満足の晩御飯の後はホテルに戻って、洗濯です。これでイタリアではあと1回洗濯すればしのげます。明日は土曜なので午前中で閉まるところも結構あるので、予定を決めたら今日はおしまいです。
投稿日時: 2004年03月31日 00時08分
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タグ: イタリア, 旅行

元ウェブデザイナーの経験から、操作が必要なもののカラーコーディネートを得意としております。ウェブカラーに関する講演や執筆も多数あります。写真は飼い猫のぶるたんです。
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